愛に出会う時

どうして男と女が一緒にいるのか?

光平

 

「男の人と付き合うと、相手が引いていくんじゃないかって思っちゃうんです。
 陽子さんは光平さんに嫌われるんじゃないかとかそういうのないんですか?」

今日セッションでクライアントさんが聞かれました

陽子ちゃん、答えて曰く

「そうね~ ないですよ^^」

 

う~ん

そうよね

僕もそう思います

 

確かに付き合いはじめの

恋のステージにおいては

好き?嫌い?っていうのあるけど

 

いざ

愛という季節になったなら

好き/嫌い っていう軸の物差しはないんです

 

好き/嫌いというところが

一緒にいる理由や意味にならないって言えばいいかな

 

そもそも一緒にいる理由とかも考えなくなります

 

 

 

愛って

好き/嫌い の次元の話じゃないんです

 

僕が

陽子ちゃんのことを好きか?嫌いか? と聞かれたなら

 

もちろん好き♪ 

 

でも一緒にいるのは

単に「好き」だから だけではありません

 

僕たちの場合 付き合いはじめから

何かの力に押し出されるように一緒になってた という感じでした

 

好きか?嫌いか?

そんなことを考える暇もなかったです

 

男と女が一緒にいるっていうのは

意味や理由じゃないんです

 

これは『一つの奇跡』です

もしくは『ハプニング』といってもいい

 

スピリチュアル的には『カルマ』といっていい

 

とにかく

人間の側にコントロールできることではないんです

 

そして「別れ」もコントロールできないものです

 

だから 

別れたくても なかなか別れられないことだったり

別れても また戻ったり

 

人間のエゴでは決められないことなんだと

多くのカップルをみていて 僕は感じます

 

ここに大きな力が働いていて

この二人は一緒にいることが学びだよ

離れる方が学びだよ

 

と愛が奇跡を起こしてくれているのです

 

 

カルマという視点で言うなら

お互いが持っている過去生からの感情を解消するために

男と女が引き合わされます

 

僕と陽子も出会って半年くらいは

お互いが未消化の感情を観ることが多かったです

 

それはたとえて言うならば

思い出をもう一度ふたりで歩いたようなもの

 

過去感じられなかった

悲しみや絶望などを感じて解放する時期もありました

 

そして今

思い出ではない新しい季節を生きています

 

だから

男女の出会いや

一緒にいることの意味や理由を

頭で考えない方がいいですね

 

「なんでこの人に出会ったんだろう?」とか考えないで

 

この人を鏡として私は自分の中の

何を感じ体験する必要があるのかな?

 

っていうところを観ることに価値があります

 

そして

未消化の感情たちが消化されていったある日

 

愛がここにある

 

その体感がガツンと腑に落ちるでしょう

 

その時 「相手に嫌われるかもしれない」

そんな思考は 一切湧かなくなっているのです

 

 

パートナーを鏡として

内なる愛に出会おうとするすべての人に

エールをこめて

 

光平

 

 

 

 

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