愛に出会う時,  愛は共鳴する

バッハの音楽 そして神への祈り

陽子

先日 お客様からお誘いを受けて

有馬みどりさんのバッハ平均律集のピアノリサイタルを聴きに

行ってきました

 

そのお客様は 80歳を過ぎる今も

ピアノの先生をされています

 

わたしが「バッハが好き」と言ったのを覚えておられたようで

お声をかけてくださったんです

 

わたしは6歳からピアノを習っていたのですが

高校生から大学時代まで

ピアノの前に座るとバッハばかり弾いていました

 

バッハについて 以前こんなブログも書いています↓

愛を生きる 映画『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』

 

この年齢になって聴くバッハは

なんというか とても不思議な感覚でした

 

演奏を聴いていて

マインドが何もつかめないというか

空になるしかないような感覚

 

それは ピアニストの方が透明であるからこそ

感じたものだとは思います

 

会場で配られていたパンフレットにこんな解説がありました

 

J.S.バッハは作曲する時、楽譜の最初に
「JJ」(Jesus Juva イエスよ、助けたまえ)と書いて始め、
完成した楽譜の最後に「SDG」(Soli Deo Gloria)
「神のみに栄光あれ」と書いた。
バッハの音楽はことごとくが神へ捧げられたものであった。
ー山村雅治

 

※画像はお借りしました

 

バッハの音は すべて神に捧げられるものであったということ

 

だから 旋律に人間のストーリーが投影できず

内的世界へといざなわれていく

 

それは瞑想状態になるような

静けさに導かれるような 体感でした

 

バッハの旋律にわたしがかつてのめり込んでいたのは

どこかで神を感じていたんだと

40数年を経て知ることができました

 

お花を夢中で植えることも

同じ感覚であることが 今ならわかります

 

そんなことを光平に話すと

 

光平
光平
年をとるのもいいものだね

と返ってきました

 

 

内なる神への祈りは いろんな方法があります

 

お茶を淹れること

お花を植えること

 

息をすることでさえも

一呼吸 一呼吸に 感謝がわくなら

 

神への祈りとなるでしょう

 

あなたも あなたの人生をかけて

していることがあるのなら

 

それは内なる神を感じられるからでしょう

 

音楽家は 音を奏でることで

料理人は 料理をつくることで

母親は 子どもを愛することで

恋人達は 愛を表現することで

 

内なる神との神聖な交流を

感じているのでしょう

 

特別な才能はいりません

あなたが無心になって愛を表現するとき

内なる神と繋がっています

 

わたしもセッションをしているとき

リトリートで話をしているとき

 

そして こうやってブログを書いているとき

内側の愛が動くのを感じます

 

 

 

あなたが愛でいること

愛でいようとしていることを

 

たとえわかってくれる人がいなくても

 

見てくれている存在が

あなたの内側にいます

 

だから信頼しましょう

 

人を罰するのは人の仕事じゃありません

 

起きる事にお任せして

あなたは愛でいてくださいね♡

 

 

今日はちょっと渋い話になっちゃいましたね

 

難しい方はスルーしてください

 

でも

内なる愛に繋がるということ

内なる神を感じるということは

 

最高に幸せなことです

 

内なる神に継がっているとき

あなたはそこに自分の居るべき場所を

見つけることができるでしょう

 

 

 

 

愛のリマインダーとして机の上にどうぞ♡

『真実の愛52メッセージ集』

 

愛の気持ちを忘れてしまわないように

可愛いイラストとともにメッセージを綴っています

 

真実の愛 52メッセージ集

 

 

 

メルマガ登録はこちらから!

※イベント情報を優先してお送りします

 

オンラインショップ始めました!

 

 

ブログの更新情報が届きます

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA