磨き合う

願いには2種類ある

光平

先日youtubeで

ポケモンマスターの歌

first takeに出会いました!

 

 

光平がポケモンをゲームボーイでやってたのは

小学5年生のときだったので

歌を聞きつつ懐かしかったです

 

しかし

サトシはポケモンマスターになるべく

ず〜っとがんばっていて

一体いつマスターになるのだろう・・ と大人心に思ったり(笑)

 

(サザエさんやちびまる子ちゃんなど

 テレビの住人の宿命か!)

 

しかし

マスターになろうと

一心不乱にがんばっている姿は

すでにそれそものがマスターであると思うのでした

 

道元くんで言うところの

『修証一如 (しゅしょういっとう) 』ですね

 

(修行する姿がすでに悟りであるという意味)

 

あなたは何かになろうと

頑張っていること ありますか?

 

かのように振る舞う

 

つまり

すでにソレであるかのように

普段から生きる🌷

 

そのとき

あなたはすでにソレになっている

 

原因は結果

 

想いこそすべて

 

そんな態度で生きることなしに

ソレになることはできないと私光平は思います

 

ただ同時に

何かに『なりたい』というのは

ある意味危険なことでもあります

 

不足感から

今の私じゃ十分じゃないという思いから

私じゃない別の何かになろうとすると・・・

 

辿りつかない蜃気楼を追いかけることになってしまうのです

 

 

だから

動機こそすべて

想いこそすべて

 

たとえば

歌手を目指している人がいるとして

あるAさんは

「歌手になったらみんなに愛してもらえるんじゃないか・・」

って動機でがんばる

 

あるBさんは

「とにかく歌うのが楽しい♪」って

自然と人前に出ていく

 

Aさんは

(私は愛されない)という根深い観念があって

それを払拭するべく たまたま歌手に向かっていくわけですが

本当は歌手でなくてもよいわけです

 

だから

きっと歌手になる過程において

ときに喜びときに悲しみながら・・・

ある日愛する人に出会っては

この人と幸せな家庭を築きたいって

新しい願いがまた出てくるかもしれない

 

なぜなら

Aさんの本当の願望は

愛し愛されることだったから

 

 

一方

「私は歌うのが好きなの」というBさんは

自然と人前に出ていって

比較的苦労なく歌手になるかもしれない

 

もちろん

プロの歌手になってからは

歌を作ることに苦しむこともあるかもしれない

 

契約している会社やプロモーションの軋轢に悩むこともあるかもしれない

 

需要に合わせて歌を作ることに

幻滅するかもしれない

 

それでも

Bさんはどういうわけか

歌を歌う場面に導かれて

自然に歌を歌う

 

なぜなら

Bさんは「歌うことが好き」だから

 

好きっていう発想もなく

ただそれが本質的個性だったから

 

そういうことで

『願い』というのは

・頭から出てるか?

・ハートから出てるか?

という2つがあります

 

頭からの願いは

不足感からの願いであり

言ってしまえば代替品です

 

ハートからの願いは

充足感からの願いであり

本質的個性からくる自然な流れです

 

しかし

頭からの願いがダメということではありません!

 

湧いてくる願いは

とにかくやってみたらいいんです

 

やってみなくちゃわからない

体験を通して学ぶ

 

これぞ人生だと私は思います

 

最後に

ある音楽家の逸話を・・・

 

モーツァルトに

ある人が尋ねました

 

「私も音楽家になりたいです

 どうしたらなれますか?」

 

モーツァルトが答えます

 

「あなたには無理でしょう」

 

質問者が言います

「どうしてそんなこと言うのですか!?

 私は音楽家になりたいのです

 どうか私にそのための方法を教えてください!」

 

モーツァルトが言います

「私はそんなこと考えもしませんでした

 誰かに尋ねることもなく

 気がついたらこうなっていたのです」

 

 

あなたはあなたであったらいい

 

ありのままのあなたで

湧き出る自然な流れを生きていかれますように🌷

 

あなたはあなたの花が咲く

あなたを流れる命に

愛と祝福をこめて

光平

 

 

 

 

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