愛は待つ

果たすべき愛の責任とは?

陽子

 

愛を学ぶということは

責任を果たすということ

 

というフレーズが前回の光平のブログにありましたね

愛し方がわからない

 

責任 という言葉を

あなたはどんな風に感じるかしら?

 

40代前半 愛の学びをしていた最初のころ

「責任をとる」という言葉がわたしはすごく苦手でした

 

何かを押し付けられるような

自分らしさを制限されるような

そんな感覚があったのを覚えています

 

でも今は違います

 

責任とは 

他者がわたしを制限するものではなくて

内なる愛と自分の心の問題だ

 

と捉えるようになりました

 

たとえ何があっても

わたしは愛の心でいること

 

たとえ何があっても

わたしが自分に背を向けないこと

 

そして

実はそれがすごく愛が深まることで

 

それがもう愛なんだなと思うのです

 

愛がわからないとしても

自分の中の何かから背を向けたとたん

心は落ち着かなくなってしまいますよね

 

それが 愛から逃げようとしているサインです

 

 

 

 

出来事への心の反応は

いつも自分の中を見せてくれます

 

どうしてわかってくれないの?

どうして愛してくれないの?

 

悲しいよ 

寂しいよ

 

そんな時は 自分の中の痛みの感情を見せられます

 

○○するべきだよ

○○するべきじゃない

 

しないあなたは 間違っている

してくれないあなたは 私を愛してくれない

 

そんな怒りがあるときは

 

自分の価値観に相手が従ってくれることを

愛だと思っている 自分の「エゴ」を見せられます

 

自分の中の「エゴの傲慢さ」

 

そして

その下には必ず「痛み」があります

 

出来事に反応して

そこから逃げたいと思うとき

自分からも逃げていないか?

 

自分の中の愛からも 

自分が大切にしてきた真実にも

背を向けようとしていないか?

 

ここに注意深くあることが

責任なんだなと思うようになりました

 

 

 

 

 

たとえば 『このバラを愛している』

 

そう思うのなら

毎日をバラと過ごし バラとの日々を育み

 

元気のないときは 心を配り

美しく咲いたなら 喜びを分かち合う

 

愛していても

やってくるであろう枯れてしまう日

 

その日も恐れずちゃんと体験すること

 

有限性から抜けて去っていく

バラのスピリットの次の旅を

祝福して見送る

 

どんな毎日も味わいつくすことが

わたしたち人間が体験できること

 

バラはあなたを傷つけたりしないから

受け入れやすいでしょう

 

でもこれが人間だったなら・・

愛する人だったなら・・

 

裏切られた

嘘をつかれた

隠し事をされた

傷つけられた

 

といろんな反応が起きますね

 

その時におきる

自分の心から逃げないことが

愛への責任じゃないかと思うのです

 

これは相手に執着しろということではありません

 

自分の心の痛みから逃げないで

ちゃんと愛そうってことです

 

簡単ではないし

すごく苦しい時もあるでしょう

 

でも必ず

要らないものは剥がれ落ち

 

全てが愛だったんだと

腑に落ちる日がやってきます

 

たとえ傷ついても

そこにあり続ける愛に

あなたは出会うでしょう

 

その日が来るまで 

愛を探す旅は続きます

 

 

 

 

本当の愛を知りたいあなたへ❤

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