一緒にいる,  男と女,  違いを知る

男と女違いを越えて一緒に生きるとき

光平

 

男の頭って

女の頭とだいぶ違うから

 

女性の要望を叶えることは男性にとって

とてつもない努力と辛さを伴うことがあるんです・・・

 

コンピューターのOSを全て書き換えるくらいのしんどさがあるんです

 

少なくとも

「君の願いを僕が叶えてあげるよ」

とは男としては軽々しく言えないのです

 

女性は「叶えてあげる!」と断言して欲しいものだと思うのですが

 

事実や真実に忠実にありたいと男性のエゴは思うゆえ

 

自分に誠実にあろうとすると

「善処します」っていうような言葉になります

 

僕もこんな言い方になります

「陽子の要望に添えるかどうかわからないけど
そこに近づけるよう努力をするとしか言えない」

 

 

 

恋人同士のときは問題にならないのですが

 

夫婦になるとお互いの役割ができるので

凸と凹の正反対の質が強まってきます

 

例えば

片一方が朝型だったら もう一方は夜型だったり

料理は 薄味好き/濃い味好き

室温は クーラー嫌い/がんがん冷えた状態がいい

 

一方がアクセル担当なら 一方がブレーキをかける

 

みたいになっていくんです

 

 

そういう違い以外でも

男として悩むのは・・・

 

自分が本当に好き勝手やったら

きっと彼女を幸せにすることにはならないのだろう

という葛藤です

 

かといって

彼女の幸せのためだけに生きていたら

(それは不可能なことではあるが)

自分の内側を流れる命の流れをせき止めることになり

とてつもなくしんどくなる

 

 

To be or not to be みたいな感じ

 

 

自分を立てれば 彼女が立たず

彼女を立てれば 自分が立たず

 

う~ん・・っていうね

 

そういう葛藤を描いた曲として思い出すのが

U2のWith or without you

 

男の葛藤を描いた 男のための名曲です↑

 

おでこに刻まれたしわを見るだけで俺はグッときちゃう

 

 

さて話を戻して・・

 

夫婦っていうのは

本当に好き嫌いだけで一緒にいるものじゃない

 

相性が合うとか

それだけの問題じゃない

 

好きだろうが嫌いだろうが

一緒にいることが起きるんです

 

一緒にいざるをえないんだ

 

男のエゴとしては

 

この人と別れても

俺はきっとろくでもない奴になるだけだな・・・って

うっすら分かっているんです

 

かといって 一緒にいるのもときどき辛い

 

でも一緒にいることが

きっと命に即した流れなんだろうなと

 

それもどこかでうっすら感じているものです

 

男と女 あまりに違いすぎるんです

 

これはものすごいレッスンです

 

エゴをがりがりと削られるような感覚がするんです

 

でもそれを調和させて

一緒に生きていきたい

 

と 一方では思っているのはなぜなんだろう?

 

 

どうして辛い思いをお互いしても

わざわざ一緒に生きてくの?

 

愛です

 

愛を学ぼうって 決めてきているんです

 

違いがあっても一緒にいられることを

やっぱり信じたいじゃない?

 

そんな障害に僕たちは負けないよ

って証明したいじゃない?

 

 

さあエゴに負けないで

男と女 このペアリングって思ったら

しっかり一緒にいなきゃだぜ

 

 

どんな壁も越えて

愛を育み合いたいあなたに

愛と光をこめて

 

光平

 

 

 

 

メルマガ登録はこちらから!

※イベント情報を優先してお送りします

 

陽子&光平『大人の愛の見つけ方』サイン本

 

 

ブログの更新情報が届きます

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA