神が君に囁く3つの言葉

 

普段、単なる欲望人間として生きているときは

全くつゆ知らずなことであるが

もしそういうライフパスに恵まれて

何か窮地に追い込まれ

苦しみに苛まれ

もうアカン・・・ってなったとき

生きる情熱が十分で誠実であるならば

君のハートから声が聞こえるはずだ

 
もしくは

目に見える神から滲み出てくることもある

木々たちから

コップや机から

形ある神が

君に語りかける

 
それは

言葉そのものではなくエネルギーだが・・・

しかし、人間としての認識形式を通り抜けたとき

それは言葉に変換される波動として認知される

 
つまり神は次のように君に語りかける

 
(1)My beloved…

 
私の愛し子よ・・・

 
そう

 
頭つまりマインドにどっぷりのときは

これは夢また夢だが

神はあらゆる形あるものを

考えられないほど愛している

 
愛しくてしょうがないんだ

 
その辺の雑草も

落ちてる髪の毛も

存在するあらゆるものの中心に

必ず神の息吹がある

 
神は愛だ

 
神は今この瞬間のこと

 
それは君が描かれているその背景のキャンバスのこと

 
神は

すべてというのもおかしなくらいのすべて

 

疲れ果て

絶望しきった君に

必ず囁く

 
愛しい私の子よ・・・

 
そして次の言葉が続く

 
 
 
 
 
 
(2)I know your pain.

つらかろう

君の痛みがわかるよ・・・

 
それは

最高の癒しだ

 
神の風が

君をひとなでしたそのとき

傷が癒える

 
それ以外に根本的な治療はない

 
神は

あらゆる痛みを熟知している

 
なぜなら

君よりも先に

あらゆる悪事に手を染めたからだ

 
無限の幅を持つがゆえに

神は君を赦す

 
どうして人が神のもとを離れなくてはならなかったのか

その原初の動機をよく知っているからこそ

再び神の家に帰ってきた君を

類稀なる喜びとともに祝福する

 
神の家

それは今この瞬間のこと

 
神はいつも君に語りかけている

しかし

その声は

神がいる場所まで君がやってこなければ

決して聞こえることがない

 
神がいる場所

それが 今 だ

 
それは人体としては

ハートに住まう

 
ハートが

神の愛との接続点

 
人間として耐えうる痛みの極点において

必ず神は開示される

 
かくして

神はあらゆる痛みを癒すが

しかしそのうえでこう言う

 
 
 
 
 
 
(3)Keep going.

おゆきなさい

 
立ち止まるな ということ

 
もうこれ以上うつむかないで

 
進め

 
君が体を抜け出そうとも

肉体ではない身体を体験しようとも

これを読んでいるということは

君は人間なんだ

 
人間としてのカルマもしくは慣性が残っているとき

必ず君は肉体人間としての形式に戻ってくる

 
僕たちは人間として生まれたからには

人間を生きなくてはならない

 
そこから逃げることはできない

 
どんなに神性に目覚めても

人間性がゼロになるわけではない

 
それはつまり

不完全さの人間ドラマから逃げられないということ

 
すなわち

人間である限り

毎瞬毎瞬

与えられた瞬間をよりよく生きようとする命であるということ

 
神様は

決して

そのまま落ち込んでなさいなんて言わない

 
もう終わりだよとも言わない

 
なぜなら

命に終わりはないから

 

 

 

 

 

命は

絶えることなく

それ自身を拡大発展させる無限の運動

 
それはエゴでコントロールできるものではない

 
エゴは

無限を扱うことができない

 
エゴは

有限性の中で機能するマシンだ

 
神は無限だ

 
そこに

エゴが降参する動機がある

 
神は

無限の命のエンジンの動力源から

君にkeep goingと囁く

 
これで終わりじゃない

進め

 
それは

個別化した命の尊い仕事だ

 
どうして神は君に光を分け与えたのだろう?

 
愛を表現するため

 
これ

 
に終わりはない

 
はじまりもない

 
君は

人間じゃない

しかし人間だ

 
矛盾を調和させる大役が

君の大仕事

 
その調和のさせ方っていうのが

ひとりひとりみんな違う

 
君はたったひとり

大事な愛し子だ

 
君が内なる命に

愛と祝福をこめて

光平

 

 

 

 

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