自然は不思議だ
蝶には蝶の仕事がある
鳥には鳥の仕事がある
花には花の
蜘蛛には蜘蛛の
それぞれに課せられた仕事がある
それは
まるでプログラムのようだ
あらかじめ与えられた
『宿命』に従って今を生きている
人間もそのようなもの
ただし
人間の場合は
ちょっと事情が複雑だ
『人間』と一括りに言うけれども
それは外側の『器』を指しているだけ
中身に何が入っているのか?
それは千差万別だ
器の中にコーヒーが入っている人もいれば
ご飯が入っている人
サラダが入っている人
まさに色々でしょう
さらに
人間は環境によって
本来の自己ではないプログラムも持っている
特に人生の最初はそう
親の影響
生まれ育った環境によって
本来の自分のものではないプログラムを抱えることになる
それがときに
本来課せられた仕事を忘れさせることもある
蜂のふりをする蝶のようだ
この幼少期に授かったプログラムから脱却することに
人生の半分を使う人もいる
30歳 40歳 50歳 60歳?
人生の後半に入って
やっと本来のプログラムが顔を出す
あなたは何のためにここにいるのですか?
本来のプログラムに則って行動するとき
人はこんな感覚になる
「これは私がやっているんじゃない・・」
何か大きな力
それは命・愛・光とか
そういう何かがただ私を通り抜けてこれをしている・・
そんな感覚になる
しかし
あえてそんなことも考えず
ただただそれをする
そこには
後悔や疑念の影さえない
または
本来の自己の宿命にかえるとき
こんな状況になるかもしれない
挑戦しようとしたことが
ことごとく失敗する
やろうと思ったことが
なぜか叶わない
手が届かない
そして
ある一つのことにだけ導かれる
たとえば
仕事を探したのに見つからない
恋人を探したのに見つからない
最後の選択肢が
あまりに当たり前に浮かび上がる
・・・
そしてあなたは
息をするように
それをする
それが本質的個性に課せられたプログラム
まずはじめに
エゴは自分よりも大きな力が存在することを
認めなくてはならない
そして
努力しなくても
生きられることを知らなくてはならない
自分自身が
大きな大きな絵画のワンピースであることを
自覚することになる
自然と
まわりと調和した何かが
あなたのハートの中心からやってくる
・・・
もちろん
古いプログラムに
ときどき戻ることもあるかもしれない
それでも
あなたはまた必ず戻ってくる
いつまでもお母さんのための私は生きられない
いつまでもお父さんのための私は生きられない
私は私のためにここにいる
そのとき
どういうわけか
あなたは調和する
存在のパラドックスだ
「あなたのためにやってるのよ」
なんてやってるときは
どういうわけか変なことになる
本当に私が私のために生きたら
誰かを傷つけることはなくなる
なぜなら
誰かを傷つけたら
私のためにならない
そんなことを考える必要もなく
私が私のために生きたとき
あらゆる存在の価値が同様に明らかになる
みんなそれぞれ
与えられた『宿命』がある
それを辿るだけでいい
私は私であるだけでいい
あなたの仕事は
たったそれだけ
自然は不思議だ
蝶が蝶であるように
私は私
あなたは自然の一部
あなたは自然
自然であるとき
あなたは「私は・・・」とは考えない
ただ
すべてがひとりでに起きる
・・・
主よ
御心のままに
そんな言葉なき想いが
あなたのハートから放たれる
もはや何を語ろう?
日は上り
そして沈む
私は生まれ
そして死ぬ
上りもしない
下りもしないものは?
生まれもしない
死にもしないものは?
ただそれは
ここにある
<お知らせ>
本来の自己に帰るには・・・
やっぱりリトリート🌷
5月28日~30日(2泊3日)
↓あと数日で募集締め切りです
リトリート in 六甲山